Harmony 2018年3/4月号
日本ドライブ紀行 北海道釧路市

静謐の
釧路をゆく

文・深江園子 写真・石田理恵

日本最大面積を誇る釧路湿原。ひたすら水平に広がる湿原の間を釧路川が蛇行して流れる景観は、日本のどこにも似た場所が見つからない。湿原の水は様々な生命を育み、循環させるカムイ(アイヌ語で神)のような存在だ。涼やかな夏の釧路で、水の恵みにふれる体験を——。

水辺から知る湿原

カヌーでしか行けない場所 見えない景色

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水上に漕ぎ出した瞬間、今までの音が消えた。風のそよぎを肌で感じながら、カヌーはゆるゆると進む。聞こえるのはオールの先の小さなしぶき音だけで、自分の声すら水中に消えていく。ここは道東の釧路湿原を蛇行する釧路川の上だ。たんちょう釧路空港から約40分のドライブでいとも簡単にアクセスできる、野性味溢れる別世界。それが釧路湿原の大きな魅力だ。日本最大の湿原を主体とした、類のない国立公園。タンチョウの生息地であることも含め、世界のナチュラリストの憧れの地だ。

運転技術があればクルマが極上の遊びになるように、読み解く眼をもった途端、自然はこの上なく贅沢なフィールドに変わる。今回、釧路湿原を案内してくれたネイチャーガイド安藤誠さんは「自然はただ眺めても素晴らしいけれど、時間軸で見るとさらに面白くなります」と言う。

釧路湿原は太古より海水が浸食しては引き、水に浸かった植物が泥炭となり、約3千年前に今の姿になったと言われている。「自然の歴史は、人間よりはるかに長くドラマチック。今の自然を観察すれば、なぜこうなったのか、そしてこれからどうなるのかまで見えてきます」(安藤さん)。

カヌーに乗る前、安藤さんはこうも言っていた。「もし本当の釧路湿原を見たいなら、カヌーと岬歩きの両方をおすすめします。展望台から見る景色では味わえない素晴らしさがあると思いますよ」。これまで体験したカヌーやカヤックは、それ自体を楽しむアクティビティだった。それがここでは、人間を寄せつけない湿原に、最も近づける必須の手段なのだ。

屈斜路湖から流れ出た釧路川は無数の川と合流しながら釧路湿原を蛇行し、太平洋に行き着く。湿原は標高2〜10メートルの低地だから水は実にゆっくりと静かに流れ、これが圧倒的な景観を作り出している。

人工音のない舟は生き物を驚かさない。目の前のヤナギの薮でノゴマやアオジがさえずる。水に手を浸せば小魚の影がツイッと動く。水面と空、そしてパノラマのように次々と変わる川岸の景色に驚く、1時間弱のカヌーの旅。「ここからさらに支流へ入ることもできます。でももう日が暮れる。ほら」と安藤さんが指さす方向を振り返ると、川の向こうへみるみるうちに夕日が落ちていく。迎えのクルマに待ってもらい、夕焼け空とのフォトセッションをしばし楽しんだ。

見晴らしのよい湖に出て、夕日が空と水辺を赤く染める光景を見つめる。「せっかく釧路に来るのだから特別な体験を」と、安藤さんは、通常のツアーでは訪れない日没時や夜のカヌー行に連れて行ってくれる。

見晴らしのよい湖に出て、夕日が空と水辺を赤く染める光景を見つめる。「せっかく釧路に来るのだから特別な体験を」と、安藤さんは、通常のツアーでは訪れない日没時や夜のカヌー行に連れて行ってくれる。

湿原最奥に佇む秘境の岬へ

水と野生の楽園が待つ湿原トレッキング

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2日目は、鶴居村にある安藤さんの営む快適なロッジから、湿原の最も奥にあるキラコタン岬へ。この岬は釧路湿原国立公園北端にある国有の特別保護地区で、文化庁の立ち入り許可を取らないと一般では入ることができない。一度は絶滅したと思われたタンチョウが再確認された地区でもあると聞き、期待が膨らむ。

距離は往復わずか3キロだが、湿った森の中の道と短い登りのあるコースのため、長ブーツに履き替えた。キラコタンとはアイヌ語で「逃げて来た集落」。途中には縄文中期の竪穴住居跡があるという。登山口から覗いた森は深く、動植物の圧倒的なパワーを感じて緊張が高まる。歩きはじめは視界の広い道。よく見ると左右で樹種が違う。「これは森に生えるミズナラと、湿地に生えるハンノキ。僕らは今、森と湿原の境目を歩いているんです」と安藤さん。森の中では、抱えきれないほど大きな切り株がいくつも苔むしている。「これは人間が木を切り出した第二次大戦後の名残。それまでは太古の木が森を覆っていたことがわかります。損なわれた箇所にはまずシラカバが生え、その日陰にミズナラのような長寿の樹種が育ち、ネズミやカケスなど種子を運ぶ動物にも助けられながら、樹種が遷移していくんです」。長い長い森の時間軸を、たどりながら歩く。途中の崖の下に、見逃してしまいそうな小さな沼があった。安藤さんの指示通りに下りてみると、勢いよく水が湧いていて、飲むと驚くほど甘い、湿原の水源だった。

突然、笹に覆われた登り道が尽き、息を呑んだ。視界が一気に地平線まで開け、眼下に湿原が広がっていた。

しばらく見とれていると、何かうごめくものがいる。エゾシカだ。続いてオジロワシが悠々と、木から木へ飛ぶ。誰ひとり声を上げず、岬の林に身を隠して湿原の生命を眺める幸福感に浸っていた。いつのまにか雲が晴れ、水がきらめくと同時に、どこからかタンチョウが飛んできた。「水を湛えた湿原は、様々な生命の棲み家です。もし森が減り土砂が流れ込めば、そこに木が茂り水を吸い上げ、湿原は消えてしまう。この貴重な風景は、悠久の循環と現代環境とのバランスの上にあるんです」。眼下の景色とともに、安藤さんの言葉が素直に体に入った瞬間だった。

ほんの半日のアクティビティで、これほど感覚が研ぎ澄まされるものなのか。ハードな冒険ではないのに、自然へのイメージがどんどん変わる素晴らしい体験だった。クルマに乗り込むと同時に、心地よい疲れが湧いてきた。帰り着いたロッジのポーチで出迎えてくれた安藤夫人、忍さんの笑顔が嬉しかったこと…。近くの温泉で汗を流して戻ると、忍さんが腕を振るう〝極上の手料理〟が並んでいた。実は忍さんは北海道のスローフード実践者でもあり、地域の食材を使いこなす腕は一級。なのに本人は「勉強したわけではないから」と謙遜し、実際に泊まった人にしかその評判は伝わっていない。「特別なことは何もなくて、このお魚も野菜も友人が届けてくれたのよ」と言うが、都会では手に入らない食材を丁寧に扱い、質のよい調味料だけを使って手際よく仕上げる料理は、レストランでは決して味わえないものばかりだった。

ウィルダネスロッジ ヒッコリーウィンド

ウィルダネスロッジ ヒッコリーウィンド

住所:北海道阿寒郡鶴居村雪裡原野14北
電話:0154-64-2956

釧路人おすすめの食・泊スポット

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屈斜路湖鶴雅オーベルジュ SoRa

ロフトスペース付き客室「ミント」。

屈斜路湖鶴雅オーベルジュ SoRa

屈斜路湖畔という立地と美食で、リピーターが絶えないオーベルジュ。道東の新鮮な食材を駆使したナチュラル・フレンチを、絶景とともに堪能したい。ログハウススタイルの客室は2室のみ。友人同士で貸切も可能だ。11月より冬期休業で、2018年は4月下旬に営業開始予定。

住所:北海道川上郡弟子屈町屈斜路269
電話:015-484-2538
カード:TS CUBIC CARD(Visa、MasterCard、JCB)
炉ばた煉瓦

本店は、明治末期に塩倉庫として使われた煉瓦造りの建物を改装。昭和の香り漂う看板や漁師町らしい大漁旗など、レトロな店内も見どころのひとつ。

炉ばた煉瓦

炉端焼の激戦区・釧路で高い人気を誇る名店。浜から直送された魚介を加工する会社を系列にもつため、とにかく鮮度が自慢。セルフで焼く炉端の定番人気は鮭、牡蠣、帆立などだが「脂ののったサンマの干物やイクラ丼もぜひ」とは店長の弁。

住所:北海道釧路市錦町3-5-3
電話:0154-32-3233
時間:17:00〜23:00
定休日:無休
カード:TS CUBIC CARD(Visa、MasterCard、JCB)

土地の恵みを求めて

豊かな食材を駆使した“道東版”フレンチ

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湿原から空港を通り過ぎてさらにクルマで30分ほど東に走ると、釧路港に出る。ここにどうしても来たかった理由は、湿原から豊かな水が流れ着く、北の海を見たかったからだ。釧路港は1899(明治32)年に開港し、石炭、材木やパルプ、そして酪農などの農産物も含めた海運業と水産業を基幹産業として栄えた。特に漁業においては遠洋漁業が昔話となった今も、北海道では豊かな海の代名詞だ。その豊かさの背景にはもちろん、日本最大の釧路湿原や、数多くの湖と河川、そして生き物達の絶えない活動がある。

港からそんな思いを巡らせながら着いた次の目的地は、地元客で賑わうフランス料理「ガストーラ」。釧路育ちの安藤済(わたる)シェフのレストランだ。昨年移転・再開した建物や壁のロゴ文字に、スペインに接したフランス・バスク地方独特の雰囲気が溢れている。

早速ランチを頂いたのだが、これが実に楽しい。生ハムは、レストラン開業当時から肉屋さんと共に作り上げてきたもの。魚介は、夏はヤナギノマイやアイナメ、大粒のアサリなど、その日の市場で目利きしてから料理を決めている。羊肉は近隣の白糠町の牧場から届くので、内臓料理や季節ごとの月齢の味わいが楽しめる。そして野菜はゴールデンウィーク前後の山菜とアスパラから始まり、短い夏に一気に出揃う。これらが全てクルマで見に行ける範囲にあるという。言葉がなくともこの土地の豊かさと生命力を語りかける味わいだった。

食後のテーブルで、湿原に身を置いて実感した生命と水の循環を思い出してみる。あの圧倒的な自然があるからこそ、この美味もある。そのことを体感できる、いい旅だった。

ガストーラ

ガストーラ

住所:北海道釧路市愛国東4-6-4
電話:0154-64-5066
時間:11:30〜14:00(L.O.)、18:00〜20:30(L.O.)
定休日:日曜
カード:TS CUBIC CARD(Visa、MasterCard、JCB)
  • 秘境トレッキングの途上で。朽ちた切り株を一面覆う苔が、雨露に濡れて輝く。

    秘境トレッキングの途上で。朽ちた切り株を一面覆う苔が、雨露に濡れて輝く。

  • 1924(大正13)年、絶滅したと思われていたタンチョウが湿原で発見された。“不毛の地”と思われていた釧路湿原が豊潤な地と認識された出来事だ。夏は子育ての季節。

    1924(大正13)年、絶滅したと思われていたタンチョウが湿原で発見された。“不毛の地”と思われていた釧路湿原が豊潤な地と認識された出来事だ。夏は子育ての季節。©安藤誠

  • 冬は、海外の自然愛好家も雪原のタンチョウ観賞に訪れる。

    冬は、海外の自然愛好家も雪原のタンチョウ観賞に訪れる。©安藤誠


アクセス
たんちょう釧路空港(夏期は名古屋と伊丹から臨時就航あり)から湿原アクティビティに便利な鶴居村までは、道道53号経由で約35㎞。湿原内は車両乗り入れ禁止区域が多いので、ガイドに任せた方が安心だ。釧路市の中心部と隣接している湿原は、アクセスの至便さも特徴。夏期なら2泊3日で大自然の旅を満喫できるだろう。
Googleマップ


ふかえ そのこ◎北海道生まれ。ライター。「月刊ホテル旅館」編集の経験と視点を活かし、北海道の旅と「畑から厨房まで」をレポートする。スローフードインターナショナル会員、通訳案内士向け美食セミナー講師。

いしだ りえ◎北海道生まれ。写真家。コマーシャルフォトスタジオ勤務後、2000年に独立し「St.Pront」を設立。北海道を中心に雑誌・広告分野で活動中。

釧路を一緒に旅したいクルマ

ハイラックス

文・日下部保雄(モータージャーナリスト)

ハイラックス

ハイラックス

ワイルドな自然体験にはタフなクルマがよく似合う

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今回の主役は大自然。釧路の大湿原を思う存分楽しむ旅だ。北海道の大自然を満喫するために選んだクルマは昨年、13年ぶりに復活したピックアップトラック「ハイラックス」である。クルマの使い方が多用途化する中、実用本位のピックアップトラックを熱望するユーザーの声に応えてのデビューだ。今回の「ハイラックス」は、海外生産の帰国子女でもある。

さて、たんちょう釧路空港に降り立ち、先ほど機内から眺めた心に深く染みる釧路湿原を目指して、「ハイラックス」を走らせる。既に500キロ積みの荷台には幾多のアウトドアグッズを積んであり準備万端だ。全幅1855ミリ、全長5335ミリと言うビッグサイズは広大な北海道にぴったりで、これから始まる旅に心躍る。

釧路湿原を添うように北上し、最初の目的地、鶴居村のヒッコリーウィンドに向かう。舗装路も思いのほか快適。トラック特有の跳ね上げられるような突き上げは少なく、3085ミリのロングホイールベースでゆったりと走る。ダブルキャビンのリアシートも予想以上に広く、座面も跳ね上げ可能で、荷物を積むこともできる。

ヒッコリーウィンドに「ハイラックス」をとめ、荷台からレインブーツなどを出し、タンチョウの優雅な舞を期待して付近のサンクチュアリへ向かう。湿原では、特別なカヌーやトレッキングなどをガイドさんにお願いして体験することができるのも嬉しい。

次のプランは道道243号と1060号で湿原を横切り、達古武(たっこぶ)オートキャンプ場に向かうルートだ。この道は舗装されておらず、ところどころ水溜まりもあるが「ハイラックス」の実力の一端をここでも発揮。ラダーフレームはタフでグイグイ走り、ドライバーの負担も少ない。オートキャンプでは釣りをしたり動物達を眺めたりして、身も心も癒される。

ダイナミックに蛇行する釧路川や、雄阿寒、雌阿寒岳などの絶景を一望できる細岡展望台へはアップダウンのあるオフロードを走る。条件が悪くなるほど「ハイラックス」の本領発揮。フロアを打ったりするのを気にしないし、取り回しもよいので気楽に目的地まで進める。さらに4WDにダイヤルを回すと強力な駆動力を得られ、どこでも行けるという自信と圧倒的な安心感は心強い。150PS、400N・mの2.4リットルのディーゼルエンジンは粘り腰の力強さを発揮して、6速ATと共に「ハイラックス」らしさを与えてくれる。そしてシンプルな室内は汚れも簡単に拭き取れ、何げない実用性の高さがありがたい。タフで雄大。「ハイラックス」は大地のよき相棒だ。


ハイラックスの詳しい情報・お問い合わせはtoyota.jpへ

Harmony 2018年3/4月号より