水素で挑む次世代サウナ。
ハルビア×トヨタが描く“新しいととのい”
水素社会の実現に向けて、トヨタは自動車以外の分野でも水素の活用を着実に広げてきました。その取り組みのひとつが、水素調理器の開発です。さらに、その燃焼技術は想像もしていなかった分野へと展開されています。それが、サウナです。なぜ水素の炎が「ととのう」空間へとつながったのか。異分野展開の背景や開発過程で直面した課題について、モノづくり開発センター 素形材技術部 先行開発室 第4グループ長の中島徹也氏、同室主任の高橋孝明氏に話を聞きました。
Text:Fumihiko Ohashi
Photo:Goki Kurimoto
Edit:Akio Takashiro(pad inc.)
黒くてモダンな、トレーラーハウスのようなボックス。扉を開けると、中には石を載せたストーブが据えられ、木製の長椅子が整然と備え付けられています。ひと目でサウナルームだと分かる空間です。けれど、これはただのサウナではありません。フィンランドの大手サウナメーカー「ハルビア」とトヨタが共同開発を進めている「水素サウナ」なのです。
カーボンニュートラルの実現に向け、長年にわたり燃料電池自動車(FCEV)の開発を続けてきたトヨタ。水素というエネルギーを社会に広く浸透させるため、「燃焼」というかたちでの活用にも取り組んできました。くらしに身近な分野での一例が、前回ご紹介した水素調理器です。そして、その技術を活かした新たな挑戦が、今回取り上げる水素サウナなのです。
水素調理器でピザが焼ける!? 水素調理器に関する記事はこちらから
水素の特徴を活かした煙突のないサウナルーム
水素調理器の応用として、試しにテントサウナをつくってみたことがありました。調理器で石を温めてみると、想像以上にサウナらしい環境ができたものの、その時点では単なる実験の一つでした。
転機が訪れたのは2024年4月。遠く北欧・フィンランドからの来訪者でした。そのテントサウナが置かれている工場を訪れたのは、NPO法人「Central Finland Mobility Foundation(Cefmof)」のメンバーの一人、Lauri Perämäki氏でした。
フィンランドは、トヨタのラリー開発拠点が置かれる縁の深い国でもあります。Cefmofは、ユバスキュラ市、TOYOTA GAZOO Racing World Rally Team(TGR-WRT)、トヨタ・モビリティ基金によって2024年に設立された団体で、カーボンニュートラルの達成と持続可能な社会の実現を目指し、人と自然が調和するまちづくりを進めています。そのメンバーが水素調理器の視察に訪れた際、工場内に置かれていたテントサウナに目を留めました。
「テントに入るなり『ロウリュをしなくてもしっとりしていてすごい!水素サウナは革命的なものになるのではないか』と興奮気味に言われたのです。
カーボンニュートラル社会を目指すのはもちろんだが、それだけでなくTGR-WRTを支えていただいているフィンランド&ユバスキュラへ私たちの水素技術で貢献できないか。環境に良いだけでなくフィンランドの皆様の沢山の笑顔をつくることができるのではないか。そう考えてプロジェクトが始まりました。
こうして話は一気に現実味を帯びます。ただし、トヨタにサウナのノウハウはありません。そこでCefmofが世界的サウナメーカーのハルビアにすぐにコンタクトをとりました。ハルビアはCefmofと同じく、中央フィンランド地域に本社を構えています。同社がこの呼びかけに応じ、2024年12月、両社による共同開発がスタートします。
役割分担は明確でした。ハルビアがサウナルームとサウナストーブを、トヨタが水素燃焼制御と水素バーナーを担当します。サウナルームはワンボックスカーほどの大きさで、クルマで牽引できる仕様です。
もっとも、水素調理器で取り組んでいたとはいえ、サウナルームは“人が入る密閉空間”。技術的ハードルは一段と高くなります。モノづくり開発センター 素形材技術部 先行開発室 第4グループ長の中島徹也氏は、こう説明します。
「通常のサウナは電気や薪を熱源として用いますが、特に薪の場合、燃焼時に一酸化炭素が発生するため、煙突などによって排ガスを屋外へ排出する必要があります。こうした従来のサウナの構造に対し、ハルビアは、水素が燃焼しても二酸化炭素や一酸化炭素を排出せず、水蒸気のみが発生するという特性に可能性を見出しました。
ハルビアが思い描いたのは、水素ならではの特長を活かし、排ガスを屋外に逃がさず、熱と水蒸気を室内で完結させるサウナという新しいコンセプトです。この構想を具体化するにあたり、ハルビアはサウナづくりで培ってきた知見をもとに、サウナルームやストーブの構造、熱の回し方、室内環境のあり方を検討。そこに、トヨタが水素燃焼や制御に関する技術的な知見を持ち寄り、議論を重ねていきました。
両者の協働によって、燃焼によって生じる熱と水蒸気をサウナルーム内に直接取り込み、煙突を必要としないサウナの設計が、現実のものとなってきました」
さらに課題は続きます。フィンランド式サウナは、石を温めて空気を循環させる仕組みですが、その加熱方法も従来とは異なるため、工夫が求められました。
「薪の場合は、排ガスを室外へ排出する必要があるために、温めた鉄板を介して間接的に石を温めます。そのため、石に水をかけて蒸気を発生させる『ロウリュ』を行っても、水が炎に触れることはありません。しかし水素サウナでは、水素燃焼の特性を活かし熱を直接石に当てることができるため、水が炎にかかる可能性があります。石を直接温めることができるという水素燃焼のメリットを最大限発揮することにこだわり、ハルビアと共に実験を繰り返し、ロウリュを繰り返し行っても炎が消えない技術を開発しました」(中島氏)
サウナの本場・フィンランド人からも高評価
こうした数々の課題を一つひとつ乗り越え、2025年5月、ついに水素サウナのコンセプトモデルが完成しました。水素サウナは、燃焼時に発生する水蒸気が効率的な体温上昇を促し、フィンランドで広く親しまれる薪サウナのような、包み込まれるような柔らかな熱を生み出します。
その性能を確かめるため、ハルビアは現地フィンランドの皆様がどのような受け止めをして頂けるのかお声を聴く評価テストを行いました。結果は興味深いものでした。電気サウナと比較すると、水素サウナのほうが体内温度は明らかに高く、しかも温度上昇のスピードも速い。測定データでは、薪サウナに近い特性を示したといいます。さらに現地市民へのアンケートでも、そうしたことが実感できるという声が多く、薪サウナに近い評価が得られました。
コンセプトモデルは日本でも、「Japan Mobility Show 2025」などのイベントで披露され、来場者が実際に体験する機会が設けられました。ここでも反応は上々だったそうです。
「水素が“燃える”ことをご存じない方が多く、まずそこに驚かれていました。体験を通じて、水素を身近に感じていただけた手応えがあります。水分の多い水素サウナは『髪がパサパサになりにくい』『ノドが乾きにくい』といった声があり、評価が高かったですね」(中島氏)
もっとも、実用化へ向けた道のりはまだ続きます。モノづくり開発センター 素形材技術部 先行開発室主任の高橋孝明氏は、技術面の次の課題を挙げます。
「燃焼を伴うエネルギー利用では、一般に空気中の窒素と酸素が高温で反応し、窒素酸化物が生成されることがあります。
調理用途では換気によって影響を抑えられますが、密閉性の高いサウナルームでは、より厳しい条件下で排出を最小化する燃焼設計が求められます。今回の水素燃焼は従来の燃焼方式と比較して窒素酸化物の排出量を10分の1以下まで低減できていますが、ハルビアとも開発を継続し、燃焼制御の最適化や物理現象の解明などを通じて、さらなる低減に向けた検討を進めています」
「世界中に普及させるには、どんな場所でも安定して動く耐久信頼性が求められます。ハルビアとも協議しながら、信頼性をさらに高めていく計画です」
「最も大切なのが、水素で皆様のお役に立てること。フィンランドの皆様が愛してやまないサウナを、カーボンニュートラルでかつ水素でしかできない良い効果を感じていただければ、将来自ずと水素がもっと使われるようになります」(中島氏)
日常の中で水素が当たり前のエネルギーになる未来。その入口のひとつとして、水素サウナが生まれようとしています。調理器と並ぶ“くらしの水素”の挑戦は、まだ始まったばかりです。