100th anniversary of Yukio Mishima's birth三島由紀夫生誕100年
日本が誇る文豪ゆかりの地を巡る

2025年は戦後の日本文学界を代表する作家のひとり、三島由紀夫の生誕100年に当たります。ノーベル文学賞候補になるなど、日本の枠を超え、国外でも広く知られた作家の類い稀なる人生の軌跡や代表作を改めて振り返るとともに、100年を記念したイベントや三島が愛した名店、名宿をご紹介します。
“美”を追求し続けた孤高の作家
三島由紀夫、本名・平岡公威は1925年、東京・四谷で生まれました。幼い頃から読書に親しみ、自作の童話や詩を創作。太平洋戦争が始まった1941年に、三島由紀夫のペンネームで小説『花ざかりの森』を発表し、文壇デビューしました。その後、東京帝国大学(現・東京大学)法学部を経て大蔵省(現・財務省)に入省するも、創作活動に傾倒し作家の道へと進みました。
三島由紀夫の作風は、日本の近代文学において独自の地位を築きました。根底にあるテーマは美への執着、そして肉体と精神の二元性です。彼の作品は緻密で詩的な文体、劇的な展開、そして深い哲学的・心理的洞察に満ちており、それらが代表作に色濃く反映されているのが特徴です。

例えば、実際にあった事件から着想を得た代表作『金閣寺』では、主人公・溝口の美への病的な執着が描かれます。金閣寺の荘厳な美しさが彼を圧倒し、最終的にそれを焼き払うことで解放されようとする心理は、三島の美と破壊の結びつきを示しています。文中で「美しさは私を殺す」と感じる溝口の感覚は、まさに三島自身の美への偏愛そのもの。

また、若い尉官とその妻が、二・二六事件後の切腹と殉死を選ぶ短編『憂国』では、愛と死が交錯する場面が荘厳に描かれ、三島にとって“死”が単なる終わりではなく、崇高な美や自己実現の手段としている姿勢が映し出されています。それらの作品群は、多くの言語に翻訳されるなど国際的にも高く評価され、現在ではどの言語圏・文化圏にも三島文学の愛読者がいるほど。さらに、舞台演出家、俳優、映画監督としても活動し、その一挙手一投足が常にメディアをにぎわせ、1970年に陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決するまで、社会に大きな影響を与えつづけました。
生誕100年を記念したイベントが開催
生誕100年を迎え、日本近代文学館では企画展「三島由紀夫生誕100年祭」が開催されました(※2025年2月8日で終了)。初公開の書簡をはじめ献本や肖像画など人間関係を紐解く「ミシマニア(三島愛)」、三島由紀夫の本づくりにフォーカスした「ビブリオマニア(書物愛)」、そして自ら組織した民兵組織「楯の会」の制服や自決直前に開催した展覧会のポスターを展示した「ヤポノマニア(日本愛)」の3つの部屋に分かれ、約200点の貴重な資料が並びました。


また、美術家・横尾忠則と作家・平野啓一郎が三島由紀夫を語り合う『三島、100歳!』や多くの三島演劇を演じてきた坂東玉三郎丈が三島歌舞伎の魅力などを語る講演会など、生誕100年にちなんだ多彩なイベントも開催(※ともに終了)。2025年5月には以下の日程で三島由紀夫作品翻訳者、評伝の作者のジョン・ネイスン氏を迎えたイベントが開催される予定で、神戸でのイベントも企画中です。詳細は下記ホームページでチェックしてみてください。
●2025年5月10日(土)山中湖文学の森・三島由紀夫文学館
●2025年5月11日(日)白百合女子大学
●2025年5月14日(水)東京大学 ※学生向けセミナー
【参考リンク】
三島由紀夫生誕100年祭
https://mishima100.jp/
三島由紀夫が愛した名店・名宿

三島由紀夫が愛した名店として名高いのが、新橋の日本料理店「末げん」です。陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決する前夜、楯の会メンバー4名と最後の晩餐としてとり鍋コースを味わったことで知られ、現在は軍鶏、地養鶏、合鴨を併せた挽肉を卵でとじたランチの親子丼「かま定食」が人気です。

エッセイや随筆の中で日本料理への愛を語っている三島が社交の場として利用したのが「なだ万」。1960年代に作家仲間や編集者と会食を楽しんだ記録が残っており、遺作『豊饒の海』の中で描かれる上流階級の優雅な生活は、格式高い「なだ万」での体験がいわれています。
また、三島は丸の内のクラシックレストラン「東京會舘」も愛したことで知られ、1962年に妻・瑤子と結婚式を挙げ、コース料理を楽しみました。日本的な美意識と西洋の洗練を融合させた場所が、三島の作風にある内面的葛藤と華やかさの対比に影響を与えていることに思いを馳せながら美食をいただけば、より豊かな食体験になります。

そして、三島由紀夫をはじめ黒澤明、野坂昭如などそうそうたる文化人が通っていたことで有名なのが新宿三丁目の酒場『どん底』です。創業は1951年。ツタが絡まる煉瓦建ての建築の中は、現在も往時の面影を残し、名物の「ドンカク(どん底カクテル)」をはじめ、著名人が愛したメニューが楽しめます。

三島由紀夫が初めて訪れたのは、映画『憂国』を製作した1965年。オレンジジュースと洋風おにぎりを注文し、海外の映画祭への出品など夢を語り、その後常連になったとか。三島由紀夫は「どん底は、なんとも言えぬハリ切った健康な享楽場である。世界的水準に近づいているように、私には思われるのであった」というメッセージ(抜粋)をお店に残しています。
三島由紀夫ゆかりの地として知られているのが、伊豆半島南東部に位置する下田です。1964年から7年間の夏季休暇を下田で過ごし、中でも「下田東急ホテル」は、晩年の長編『豊饒の海』が執筆活動用の一室で生まれ、長編『音楽』に出てくるプールサイドの麻雀シーンの舞台になったといいます。

また、三島由紀夫の代表作のひとつ『潮騒』の舞台となったのが三重県の神島です。『潮騒』は、若く純朴な恋人同士の漁師と海女が、いくつもの障壁や困難を乗り越え、成句するまでを描いた物語。神島は「都会の影響を受けず、風光明媚で経済的にもやや裕福な漁村」という三島が描いた理想に近かったと言われ、映画化された際もロケが行われました。

八代神社、監的哨跡、神島灯台など、「潮騒」の舞台となった名所だけでなく、映画撮影の間、三島由紀夫が滞在した「寺田家」の部屋は、今もそのまま残っています。

さらに山梨の「山中湖文学の森・三島由紀夫文学館」では、三島作品の貴重な資料の展示から創作活動の一端にふれることができます。生誕100年のこの年に、希代の文豪のルーツを巡るドライブ旅にでかけてみてはいかがでしょうか。
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