過去を思い出し、未来を想像する。人生をより深く味わうための思考の旅へ全4回
松任谷正隆のエッセイ 連載Vol.2

「カコはミライの中にある」
若いピアノ弾きたち
Illustration:Kenji Oguro
いつからかフジテレビ系番組「TEPPEN」の審査員をしている。審査委員といってもいろいろなジャンルがあるうちのピアノ部門だ。テクニックもろくにない僕にそんなことができるのか、と最初は怖じ気付いたが、こんな僕にできることもあるんだな、と途中から少しだけ自信が付いた。何年かやっているうちに審査員長になった。うーん・・・僕でいいのか・・・やっぱり今でも自信はあまりないかもしれない。
スタジオには1時間位前に入って打ち合わせ、それから初めての審査員たちと顔合わせをする。ちょっと緊張をするが、ふと考えると、僕は彼らよりもずっとずっと、二回りも三回りも年上だったということに気付き、少しだけ落ち着きを取り戻す。いや、この期に及んでもまだ初顔合わせは緊張するものである。緊張するときは少しだけ言葉を発するといい。何でもいいのだ。「いやあ、収録時間は長いですよ」とか「みんな凄いですよ」とか。少しだけ知ったようなことを言うと内側からリラックスしていく自分を感じられる。けれど偉そうなことは御法度だ。あくまでも場のムードをなごませる。これに尽きる。なにしろ一人だけ飛び抜けておじいさんなのだから、みんなある程度気は遣ってくれる。
ではメイクをしてください、なんて言われてメイク室に行くわけだが、これは毎日のようにレギュラーでテレビをやっている人間以外はなかなか慣れないものである。デカい床屋のように椅子がいくつも並んだ部屋でメイクをしてもらう。若いメイクさんたちがやってくれるのだが、毎日のように芸能人に接している彼女たちに「誰だろう、このおじいさん」なんて思われているんだろうなあ、と思うと若干萎縮する。いや、若干ではない。大いに萎縮する。だから、ここでも嫌われないように明るく振る舞う。親切なおじいさんを演じるのである。それでも不機嫌そうなメイクさんだったりすると、僕は突然失神したように寝たふりをする。寝たふりをしながら、何でこんな若い子に気を遣わなければならないんだ、なんて不条理な気持ちに襲われる。我慢すること10分程度で顔も塗り終わり、髪の毛にも魔法の黒い粉でハゲを隠してもらって終了である。
番組の放送時間はおよそ2時間。それに対して収録時間は、休憩を含めて6時間程度である。6時間、高めのスツールに座っているのは、この歳ではなかなかきつい。座骨神経痛持ちの僕は絶えずもじもじ、である。この収録には観客も入れているので、あまり変なところを見られたくもないから、栄養ドリンクを足元に忍ばせて、ついでに途中でこっくりこっくりしないようにミントを絶えず口に含むようにしている。
さあ、ではいざ収録である。スタジオに入るときにはADが名前をコールする。その度にお客さんが拍手をする。そうやって出演者が入場するのがこの手のテレビの習わしである。審査員が人気のアーティストだったりすると、当然のことながら拍手は多い。全然知らないような人でも・・・拍手は一定以上あるので安心とも言える。もちろん、僕はこの後者である。テレビが面白いのは出演者から見る風景は暗いことだ。審査員は暗闇をカメラが動き回ったり、スタッフがこそこそと走り回ったりする光景を見ながら発言をする。それも明るく。
そうそう、僕のことなんかどうでもいい。今回は審査員ではなく、出演者。つまりピアノ弾きの話である。出番を待つピアノ弾きのために、スタジオの隅にキーボードが何台か用意されている。僕がスタジオに入るとき、たいてい何人かは脇目も振らずに一生懸命最終調整をやっている。この期に及んで、やっぱりやらないと気が済まないんだなあ、と気持ちは痛いほどわかるのだが、この練習はある意味危険であることも教えてあげたい。なぜなら、本番をリラックスして臨むためには、あのライトの中、ピアノの前に座った自分をイメージできなければならない。あれ?なんだか変な感じ・・・と思った時点で平常心でピアノは弾けない。ましてや、これは戦いだ。戦うためには相手の手の内が見えていないと勝てないように、自分の気持ちが見えないといけない。さらに言えば、これは番組だから緊張が見えるように、いや、ピアノ弾きが緊張するように司会者が振る。そして緊張を煽る短い音楽・・・。音楽がやんで沈黙の中、ピアノ弾きは必死に自分を取り戻そうと自分に言い聞かせる。その時間が長い人もいれば短い人もいる。指が震えている人もいる。
実を言えば、その時間、その様子を見るだけでこの人がいつも通り演奏できるのか、そうでないのかもある程度わかる。最初の第1音を発した瞬間、その緊張がほどけていく人もいれば、どんどん自分を見失っていく人もいる。音楽は時間のアートだ。そしてアートには自由が必要だ。いつもどおりが正義ではない。つまり、練習とは違うことをやってしまったら、そこからどんどん違う世界に行く勇気が必要なのだ。だから・・・練習のときに、すでにいろいろな状況を想定して、いろいろな練習をしておくことが望ましい。これが最高だ、というものをつくってしまうと、枠を外してしまったときの動揺が命取りになるだろう。
それにしても、今の若い子たちは本当にピアノが上手だ。ものすごく精度の高い演奏をする。どのくらい上手かといえば、僕の100倍くらい上手である。指の動きは速いし、タッチの狂いも少ないうえダイナミクスも大きい。まるでマシンのよう・・・と言ってもいいくらい。
ああ、こんな演奏ができたらさぞかし気持ちがいいだろうなあ、と思う。いやいや、本人たちは今それどころではないのである。自分でつくりあげた自分の壁との戦いをしているのだ。だから弾き終えたときの彼らの顔はアスリートが戦い終えたときの顔だ。ちくしょう、という気持ちを押さえ込んでいるのがわかる。もっとできたはずだ・・・。
レベルの差こそあるけれど、誰もがこの感情を持つ。この感情が見たくて、僕はこの番組を続けているのだと思う。まるで人生そのものかもしれない。
かつて、舞台で立ちすくんだ松任谷少年。今は審査員席から、未来を見守っている。その眼差しの奥にあるのは、忘れえぬ原点の記憶だ。
まつとうや・まさたか
◎音楽プロデューサー/エッセイスト。音楽制作にとどまらず、車・ファッションに関する造詣も深く、ライフスタイル系の発信も豊富。

