Harmony 2018年5/6月号
日本ドライブ紀行 佐賀県有田

温故知新の
“neo有田焼”の里へ

文・鹿田吏子 写真・平川雄一朗

17世紀初頭、日本で初めて磁器が焼かれた佐賀県有田は、言わずと知れた磁器の一大産地。ヨーロッパの貴族が愛した「金襴手(きんらんで)」や鍋島藩献上品の「鍋島」、宮中に納めた「禁裏御用窯」などさまざまな様式、窯が今も伝わる。そんな中、国内外で注目を集めているのが、モダンな“neo有田焼”だ。400年の歴史をもつ深奥の焼き物王国、有田の今を訪ねる。

古きものを活かした老舗窯元のモダンな一皿

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2016年に創業400年を迎えた有田焼。そのふるさとである佐賀県西松浦郡有田町を訪ねた。福岡からは、佐賀平野を横断する長崎自動車道、西九州自動車道を経由して約1時間半。波佐見有田ICを降り、のどかな里山の中に煉瓦造りの煙突を1本、2本と確認できるようになったら有田町に入った合図だ。

まず向かったのは、有田内山地区の皿山通り。毎年、GWに開催される陶器市のメインストリートになる場所で、ゆるやかなカーブを描く道の両側には町屋が並び、風情ある佇まいを見せている。多くが有田焼の店で、各店のショーウインドウは思い思いにディスプレイされ、眺めて歩くだけでも楽しい。

その中の一軒で見た有田焼に目を奪われた。1804(文化元)年創業の「弥左ヱ門窯」七代目当主・松本哲(さとる)氏が立ち上げたブランド「アリタポーセリンラボ」の「ジャパンシリーズ」だ。有田焼に古くから取り入れられてきた伝統的な柄はそのままに、職人が門外不出の技術で作り上げた色を刷毛塗りして仕上げたもので、ピンクは桜、グリーンは緑茶など、日本の四季を表現しているという。製品1点に施す色数を抑えたことでモダンなムードは一層際立ち、フランス・パリで行われた国際見本市、メゾン・エ・オブジェでも高い評価を受けた。これまで培ってきた高い技術力に柔軟な発想を重ねて、世界中にモダンな有田焼を届ける——。「ジャパンシリーズ」はその先陣を切った“neo有田焼”と言えるだろう。

他にもさまざまなシリーズが並ぶショールームで存分に目を楽しませた後は、クルマで10分ほどの場所にある工房見学へ(要予約で一般見学可)。成形、素焼き、絵付け、焼成。各工程を専門の職人が担当し、一つひとつの製品に真摯に向き合っている。その手元やまなざしに触れるうち、有田焼がより輝いて見えるようになった。

朝鮮人陶工の発見が一大磁器産地を生んだ

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製品が生まれる現場に立ち会うと、そのルーツも知りたくなる。皿山通りを東に向かい、泉山磁石場へと足を延ばした。

有田焼は17世紀初頭、朝鮮人陶工・李参平(りさんぺい)(金ヶ江三兵衛)らによって始まったものだ。彼ら陶工集団は、現在の佐賀県の西側の地域を転々としながら原料を探し求め、そしてたどり着いたのが泉山磁石場だった。

展望所からは、まるでカルデラのような地形が一望でき、山がまるごと磁器となった様を想像するだけで思わず興奮してしまう。

有田焼の隆盛を支えた泉山陶石は、明治に入ると、粘り気や白さに勝る天草陶石に少しずつその座を譲ることになる。が、ここの石でしか表現できない上品な青みを帯びた白磁があると、今また少しずつ、泉山陶石を使う作家が出てきているという。

帰りに、陶山神社に立ち寄った。鳥居も狛犬も水瓶も、有田焼で造られているこの神社には、有田焼の祖・李参平が祀られている。

ヨーロッパの“磁器病”と有田焼の多様な様式

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泉山陶石が発見された17世紀初頭から製陶が始まった有田焼は、明治にかけてさまざまな技法と様式を味方に世界へと羽ばたいていく。「有田ポーセリンパーク」ツヴィンガー宮殿内のアートギャラリーに、その流れがわかりやすく解説してある。

1650年頃までに作られたのが「初期伊万里」。当初はぽってりと厚みがあり、絵付けも染付のみと素朴なものだったが、40年代に色絵(いろえ)が誕生。その頃、1602年にオランダで設立された東インド会社が、内紛で製陶がままならなくなった中国に代わって有田に磁器の生産を求めたことで、アジアや欧州への輸出が始まった。当時有田焼が伊万里と呼ばれたのは、伊万里津から積み出されたことに由来する。海を渡った有田焼は欧州貴族の間でもてはやされ、東洋磁器の蒐集=ステイタスとなった。その熱狂ぶりは“磁器病”と呼ばれるほどだったという。その後、乳白色の素地に赤・青・黄・緑・黒で色絵を施した「柿右衛門様式」や、器面全面に図柄を描き、赤や金など色を多用した絢爛な装飾の「金襴手(きんらんで)様式」が現れて輸出量は増加。ドイツの名窯・マイセンなどで数多く模倣された。こうして、江戸時代から海外との繋がりで技術向上を果たした有田焼は、後のパリ万博、ウィーン万博で再び注目を集めた。

そうした有田焼の海外進出の様子は、皿山通りの「有田異人館」でも窺い知ることができる。里山の小さな町にも拘らず、有田には上海、ニューヨークにも支店を持つような貿易商も現れたのだ。

鍋島藩が藩窯を置いた“秘窯の里”へ

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世界に輸出されるような焼き物へと急成長した有田焼。すると鍋島藩は、将軍家への献上品や大名への贈答品といった高級磁器の製作技術流出を防ぐため、1675(延宝3)年頃、それまで有田町内に置いていた御用窯を伊万里の大川内山(おおかわちやま)へと遷した。訪れてみると納得するが、切り立つ山々に三方を囲まれた、「守る」のに絶好の場所。藩窯には珍しく、入口には関所も設けられたという。そんな“秘窯(ひよう)の里”に集められた優秀な陶工達は、武士と同様の待遇を与えられながら、江戸時代最高峰の陶磁器と称された「鍋島焼」を生み出していった。

明治に入ると、廃藩置県により藩窯は解散、陶工達は自由な製陶を行えるようになり、現在も約30軒の窯元が窯業を営んでいる。地区全体を見渡せる展望台や共同の登り窯など見どころも多いが、鍋島藩窯時代からの技術を受け継ぐ「畑萬陶苑(はたまんとうえん)」の2階ギャラリーへも足を運びたい。献上品としての名残をとどめる高高台の染付や、墨を使って白抜きをする鍋島焼ならではの「墨はじき」の技法など、藩窯時代の面影に触れることができる。

フォレストイン伊万里 レストラン

夕食一例。おまかせコース料理より、「前菜盛り」と「伊万里牛の陶板焼き」。伊万里牛はきめ細かな肉質で柔らかく、さっぱりとした甘みがあとを引く。

フォレストイン伊万里 レストラン

ミシュランガイド2014福岡・佐賀版で4パビリオンを獲得したホテル内のレストラン。森の中という静かなロケーションで、地場の食材を使った滋味豊かな料理がゆったりといただける。美食が映える伊万里焼の器も目を楽しませてくれる。

住所:佐賀県伊万里市二里町大里甲1704-1
電話:0955-23-1001
時間:11:00〜14:30(L.O.14:00)、17:30〜21:30(L.O.21:00)
駐車場:245台
カード:TS CUBIC CARD(Visa、MasterCard、JCB)