石窯から調理器まで!広がる水素活用の可能性水素社会実現に向けたトヨタの挑戦
「水素×燃焼」技術で調理器に革新を
Text:Fumihiko Ohashi
Photo:Goki Kurimoto
Edit:Akio Takashiro(pad inc.)
水素社会の実現に向けて、トヨタは自動車以外の分野でも水素の活用を進めています。その取り組みは私たちの生活へと広がり、いまや調理器にまで応用されています。開発に携わった、素形材技術部先行開発室 第4グループ長の中島徹也氏、同室 主任の高橋孝明氏、水素ファクトリー水素事業推進部広報・訴求グループ 主幹(取材時)の中村匡氏に、その経緯や理由について話を聞きました。
水素もカーボンニュートラルの多様な選択肢のひとつと考えるトヨタは、10年以上にわたって燃料電池車(FCEV)「MIRAI」の開発を続けてきました。水素と酸素との化学反応によって発電するFCEVは、走行時に二酸化炭素(CO2)が発生しないのはもちろん、航続距離が電気自動車(BEV)よりも長く、しかも水素の補給は電気自動車(BEV)の充電よりも短時間で済む。水素は、まさに次世代のエコカーを動かすエネルギー源なのです。しかし、補給するための水素ステーションはまだまだ少なく、今後に向けて課題は残されています。
そこでトヨタがいま、インフラ整備とともに力を入れているのが、社会への水素というエネルギー源の周知です。中には「危ないのではないか」と誤解している人もおり、水素の実態があまり知られていないからです。
水素で焼くと表面はカリッ、なかはジューシー
社会に広く浸透させるには、水素というエネルギー源を幅広い分野で活用する必要がある。そう考えたトヨタの開発チームは、まず水素を「燃焼」で使う可能性に着目しました。その最初の舞台となったのが工業用途です。素形材技術部先行開発室 主任の高橋孝明氏が、その経緯をこう語ります。
「2017年に、2050年のカーボンニュートラルを実現するために必要な技術は何か、という議論を行いました。断熱性能を高める技術など、さまざまな案が出るなかで、そのひとつとして浮上したのが、水素を燃焼に利用するという発想でした」
この構想から、産業機器メーカーの協力を得て開発されたのが水素バーナーです。2018年には、工業利用を目的とした汎用バーナーとして世界で初めて、トヨタ本社工場の鍛造ラインに導入されました。高橋氏は2019年以降、この水素バーナーを他社へ展開する取り組みにも携わってきたそうです。
工業分野で一定の成果を上げた水素バーナーですが、水素をさらに社会に普及させるには、日常生活での活用が欠かせません。そこで開発チームが次に目を向けたのが「食」の分野でした。水素バーナーで培ったノウハウを、調理器へと応用する取り組みが始まったのです。
トヨタ本社で2番目に古い工場で、かつて自動車の生産ラインがあった建屋には、この場所で開発してきたピザを焼く石窯やかまど、グリラーが並んでいます。開発を主導する先行開発室 第4グループ長の中島徹也氏が、その狙いを説明してくれました。
「水素社会の実現には、まず水素を身近に感じてもらうことが大事なので、調理器に水素技術を活用しました。燃料電池車(FCEV)は、水素と空気中の酸素を化学反応させることで燃料電池の発電を行い、その電力によってモーターを駆動させる仕組みですが、この調理器は、水素を燃焼のエネルギー源として使用します」
調理器の開発は2022年に、リンナイと共同で始まりました。開発を手がける素形材技術部は、金属をはじめ木材、石材、窯材、ゴム、ガラス、プラスチックなどの素材に熱や力を加えることで、さまざまな形状や機能の部品をつくる部署で、熱にまつわるスペシャリストたちが集まっています。のちに高橋氏と中島氏も、そのチームに加わりました。開発には、トヨタがMIRAIで培った水素を安全に供給管理する技術だけでなく、燃焼炉の安全制御や塗装の乾燥といった、クルマの製造工程で培った技術も生かされているそうです。
最初に開発したのは水素グリラーでした。その後、水素の価値をより引き出すため、技術的難易度の高い“閉じた空間での水素燃焼”を実現。燃焼時に発生する水蒸気環境に食材を置くことで、水蒸気の調理効果を最大化する水素石窯を開発しました。
これまでの実証実験では、ピザはもちろん、クロワッサンや焼き芋、餅を焼いてきました。水素は燃焼温度が高い一方で、燃焼時に酸素と結合して水蒸気が発生するため、表面はカリッとしつつ、中はジューシーに仕上がるそうです。水素石窯をレストラン事業者にお貸しするなど、実験では、東京の一流のシェフたちにも協力を仰いでいたそうです。
「シェフの方々は意識が高く、料理の世界でもカーボンニュートラルに取り組んでいこうとお考えです。水蒸気の食材への影響も科学的に解明しようとしていて、我々のニーズと彼らのニーズが一致していることが興味深かったですね」(中島氏)
調理器の開発で得た知見をクルマづくりにも生かす
自動車の開発同様、調理器でもデータドリブンによる開発が行われています。水素石窯の中にさまざまな計測器を設置してデータを取得し、どのような温度帯でどれくらいの時間をかければ最適な調理ができるかなど、再現性を高めるための燃焼解析を行っているそうです。それはただ食材を美味しく焼くためだけでなく、クルマづくりに生かすことも目的だと、共に開発に携わった、水素ファクトリー水素事業推進部広報・訴求グループ主幹(取材時)の中村氏は言います。
「トヨタは水素エンジンの研究開発に取り組んでいます。調理器の燃焼とその原理は同じであり、その安定制御技術は、エンジン開発にも生きるはずです」
こうした実験の成果を示すために、これまでモータースポーツなど数々のイベントで水素石窯を披露してきました。一般の人にピザなどをふるまい、水素を体験する機会を提供しているそうです。
「水素石窯の一番の特徴は、燃やしても『H2O(水)』しか出ず、『C(炭素)』が排出されないこと。排ガスがクリーンなので、煙突からモクモクと出るのはすべて水蒸気です。見学に来られた方には、まず水素の炎を見ていただいたらダクトから出る排気ガスに触れて手が湿るのを感じていただき、最後にパンを食べていただく。水素の燃焼時に水蒸気が発生して食材に水分が入り込むので、モチモチした食感を味わうことができます。こうした一連の水素の新しい価値を体験していただいています」(中島氏)
一般の人の反応は上々だと、中村氏は手応えを感じています。
「多くの人は、水素で燃える火を見たことがないので『CGですか』と反応する方もいました。水素と食品は、科学的に相性が悪そうな印象を受けるかもしれませんが、実際に食べていただくと、ピザの焼き上がりならではの香ばしさが見事に再現されているととても好評でした」
水素石窯で手応えをつかんだ開発チームが次に手掛けたのは、水素釜戸です。日本人の食の中心である米を炊けたら面白いのではないかという発想から、釜戸メーカーの協力を得て開発されたそうで、炎が見えるよう、点火装置部分はガラス張りになっています。これは、これまでとは違うチャレンジだと中島氏は言います。
「水素石窯も水素グリラーも直接対象物に火を当てるのに対して、釜戸は間接的に火を当てます。それが食材に影響するかどうかはまだ分かっておらず、実験的要素が強いです」
水素にはまだまだ知らないことが多いからこそ、民生分野で燃焼技術に挑戦することに意義があると中島氏は強調します。
「水素を身近に感じてほしいというのは大義ですが、一方でモビリティカンパニーとして、ここで培ったノウハウを自動車やモビリティにも還していきたいという思いももっています。それはクルマの性能に限らず、私が以前携わっていた生産技術など、クルマをつくるための技術開発にも生かせると思っているので、ぜひ実現していきたいです」
水素社会に向けたトヨタの挑戦--。それは調理器にとどまりません。より難易度の高い、“あるもの”を水素で稼働させる挑戦にも取り組んでいます。次回はその“あるもの”に水素というエネルギー源を活用する取り組みをレポートします。
