
館内には1900年代以前から現在までの各国の車両が年代ごとに展示されている。
2020.2.25
「Harmony3/4月号 デジタルブック」をリリースしました。
「日本ドライブ紀行」は、富山県でのどかな春旅を満喫。鉄道好き、ダム好きのあこがれ、黒部峡谷トロッコ電車を堪能したあとは、縄文ロマンを秘めた“ヒスイ海岸”まで足を延ばします。「セントラルラリー愛知・岐阜2019レポート」では、約10年ぶりに開催されるFIA世界ラリー選手権(WRC)日本ラウンドを控え、昨年11月に行われたテスト大会の模様をお届けします。
2020.2.25
「開発者に聞く」特別編をリリースしました。
特別編として、開館30周年を迎えた「トヨタ博物館」をクローズアップ。国内外約140台の名車が集う日本有数の博物館ながら、その斬新な展示方法とは……? 「自動車産業が生き残るための博物館でなくてはならない」と、高い志とビジョンを掲げる館長に詳しい話をうかがいます。
2020.2.25
動画試乗レポート特別編「トヨタ博物館」をリリースしました。
今回の特別編では、世界の名車が集う「トヨタ博物館」をレポート。自動車ジャーナリスト・小沢コージが「歴史を振り返るだけでなく、未来を見据える博物館」「クルマ好きなら絶対行くべき」と太鼓判を押す、進化したトヨタ博物館の魅力を貴重な資料や名車の映像とともにお届けします。
2020.2.25
「Harmony×キャンパスラボ 地域の魅力を巡る旅」をリリースしました。
今回ミスキャンパスが訪れるのは、奥多摩。悠然と構える山々、美しい渓流……都心から2時間程度で目の前に広がる大自然は、まさに東京の秘境。綺麗な水脈をいかした酒蔵見学から、雄大な山岳を望む足湯、伝統家屋で頂く四季折々の料理まで、奥多摩の自然を味わい尽くします。
2020.2.25
Harmony3/4月号 読者プレゼントの受付を開始しました。
Harmony 2020年3/4月号
トヨタ博物館館長に聞く
文・小沢コージ 写真・小松士郎
昨年開館30周年を迎えた「トヨタ博物館」。国内外の名車約140台が集結する日本有数の博物館だが、過去を懐かしむ場所かと思ったら大違い。元カーデザイナーでもある館長は「ここから未来を見てほしい」と斬新な展示方法を試みている。我々が今、ここで見るべきものは何か——。
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小沢:布垣館長は、もともとトヨタ車のデザイナーだったと伺いましたが。
布垣:はい、1982年に入社し、30年間クルマのデザインを担当しました。僕がデザインした初代「ハリアー」もここに展示してあります。
小沢:おお、すごいなあ。バリバリの元トップデザイナーが館長を務める自動車博物館とは! 失礼ながら、こういう施設って時間にゆとりのある趣味人がやっても一応こなせるというイメージでした。それだけトヨタもこの博物館運営に本気だということですよね?
布垣:さあ、どうなんでしょう(笑)。
小沢:いや、きっとそうですよ。博物館の在り方って実は千差万別で、愛好家向けにもできるし、海外メーカーのようにブランディングにも使えるし、逆に壮大なメッセージを織り込むこともできる。実際、布垣館長はどういう使命を帯びてこちらに来られたんですか?
布垣:私は2014年に就任したのですが、まずは1989年の博物館設立時の趣旨に注目しました。
小沢:そこ、とても重要ですね。
布垣:その当時、トヨタの社長や会長が言っていたのは「皆さまと共に歴史を学び、人とクルマの豊かな未来のために博物館を作りました」ということ。大事な物を残すためではなく、未来のために博物館を作ったわけです。
そこで私自身、それまでデザインという視点で未来のクルマばかり考え続けていたので、少しはお役に立てるだろうと。ただ、「未来のための博物館」と称するのは簡単ですが、じゃあそれって一体何なんだ、となる。それをこの6年間、ずっと追求している感じですね。
小沢:いや実際、僕自身、日本の自動車界に足りないのは「文化」という視点だと思うんです。いい例が登録13年超えの古いクルマに対して自動車税を増税する仕組みで、あれって日本がクルマを「産業」として捉えるばかりで、「文化」として考えていない証拠じゃないですか。
布垣:そこはこれから変えていかなければいけない。ですからトヨタ博物館もめちゃくちゃ大袈裟に言うと、自動車産業が生き残るための博物館でなくてはならない。
小沢:それは非常に大きく、志を感じるテーマです。
布垣:豊田章男社長も「クルマ」ではなく「愛車」とよく言っていますが、クルマがコモディティ化、つまり日用品化したら終わりだと。同じような機能のクルマが増え、どの会社のクルマを買っても同じになる。
そうならないために大切なのは、やはり“愛車精神”だと思うんです。それがあってこそ文化が育つのであり、クルマ愛があれば文化は自然と育つ。クルマ離れの時代と言われますけど、博物館に来る人達を見ていると、そんな風には全く感じません。
小沢:クルマを愛する若者達がちゃんといると。
布垣:もちろん! 館長になってまず驚いたのは、この博物館で初めてクルマを好きになった方がいらっしゃるという事実。それもひとりやふたりじゃないんですよ。「取材に来て初めてクルマに興味を持ちました」という学生記者さんもいました。
1982年トヨタ自動車入社。チーフデザイナーとして初代「ハリアー」「アルテッツァ」「イスト」を担当。2001年からグローバルデザイン企画部主査、06年から部長としてトヨタ全体のデザイン戦略やブランディングを担当。14年トヨタ博物館館長に就任し、現在社会貢献推進部部長を兼任。趣味はスキーとギター演奏。
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小沢:やはり博物館には不思議な魔力があるんですね。
布垣:デザインひとつとっても、今みんな必死でマーケティングして開発しますが、それに対して博物館に来る若い人達は「70〜80年代のクルマがカッコいい」とかポロッと言ったりする。その理由もここにいると分かるんですが、世代によってクルマの美的基準が違う。クルマの見方が違うんです。
小沢:じゃあ、ふたたびデザインしてみたくなりませんか。実際、大ヒットするかも(笑)!
布垣:そうしたいのは山々ですが、とにかく現職のデザイナーにはしょっちゅう博物館に来いと言っています。必ず新しい発見があるからと。それに、今年はおもしろい企画展をやってみたいと考えているんです。あえて若い人に、クラシックカーの企画展をやらせる。彼らの目から見たカッコいいクルマ、興味深いクルマを並べさせて。
小沢:それはおもしろい! ちなみに、布垣さんがこの6年間でやってきた具体的な博物館の改革を教えてください。
布垣:たとえば、この博物館で「今こういうクルマを出してくれたら私は買います」のベスト3って何だと思います?
小沢:まずは「トヨタ2000GT」でしょうね。
布垣:じゃその次は?
小沢:う〜ん、昔の「ランドクルーザー」かな?
布垣:違います。“ヨタハチ(「トヨタスポーツ800」)”です。
小沢:その手がありましたか。
布垣:あれはカタチだけじゃなく、おそらくコンセプトも評価されているんです。小さなエンジン、軽量で空気抵抗も小さい。今のスポーツカーって必ずしも最高速を期待されているわけじゃないですからね。
小沢:たしかに……。それで、もう1台は?
布垣:たぶん当たらないと思いますが……。なんと「トヨダAA型セダン」なんです!
小沢:ええっ、あのじゃがいもみたいな、1930年代のトヨタ初の乗用車が!?
布垣:ええっ! と驚いた時点で、小沢さんの感覚ズレてます(笑)。
実は「トヨダAA型セダン」にはおもしろい話がありまして、豊田喜一郎が、あのクルマをあえて、当時アメリカでは売れなかった「デ・ソート・エアフロー」を意識して作っていること。流線形ボディの元祖で、まさに時代を先取りしていたんです。
小沢:喜一郎さんは相当大胆で、目のつけどころが違っていたと。
布垣:だから僕は、ここで“AA型”と“デ・ソート”を並列展示しています。すると狙いがよく分かる。
小沢:たしかに! デ・ソートを意識していながら、AA型のほうがカッコいい。
布垣:そうやってこの数年間、常設展示を総入れ替えしてきたんですが、それは大変勇気がいることでもありました。
小沢:そうだと思います。
布垣:存在が近かったものを、本家と分家をあえて並べることで、その違いが見えてくるんです。ですから「トヨタ2000GT」も、当時意識したと言われる「ジャガー Eタイプ」と並べて展示しています。
小沢:うわあ、それは実に興味深い。音楽で言うなら、日本の歌謡曲と、元ネタといわれる洋楽を続けてかけるようなもんだ。実際、2000GTとEタイプはかなり違いますね。
布垣:でしょ? 2000GTも、最初は日本ではなく海外で評価されたんですよ。
小沢:たしかに、展示方法によって博物館の“味”はグッと増しますね。スイカに塩かけて食べるみたいに。
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布垣:一番大きいのはクルマ館の2階、3階です。“100年に一度の大変革期”と言われる今、「自動車100年の歴史」を一気に見せようと。30年前は日本車の歴史が浅かったので、欧米車と日本車を上下で完全に分けていましたが、今は時系列で一緒にしています。
小沢:そうか。日本車もこの30年でずいぶん歴史的な厚みが増しましたし。
布垣:どなたも「100年に一度」と気楽に口にしますが、本当に100年の自動車の歴史を知っているんですか? と。
小沢:たしかに……僕も知らない(笑)。自動運転や電気自動車の話になるとよく引き合いに出されるのが、かつてのニューヨーク。1900年は馬車だったけど、その13年後、イッキに自動車に取って代わられました。
布垣:その写真も展示していますが、それよりおもしろい話があって、たとえば「自動車の歴史はガソリン車から始まりました!」とうたうと、ベンツの「パテント・モトールヴァーゲン」が出てくるじゃないですか、普通は。
小沢:ええ、まさにお決まりのパターンですよね。1886年に出たベンツがクルマの元祖ってことになっていて、シュトゥットガルトのメルセデス・ベンツ・ミュージアムの筆頭展示車もそれでした。
布垣:でもね。問題は最初のクルマが本当にガソリン車なのかってことです。自動車の始まりは本当にパテント・ヴァーゲンなのか。
小沢:んん? ってことは、違うんですか?
布垣:蒸気自動車なんですよ。だからここでは「スタンレー」のスチーマー モデルE2を展示しています。これは1909年のモデルですが。
小沢:ええっ、蒸気機関車じゃなくて、蒸気の自動車!?
布垣:それから、そちらの青いのは電気自動車です。1902年の「ベイカー エレクトリック」。
小沢:すでにEVもあったのか!
布垣:1900年代初頭は、蒸気あり電気ありガソリンありで、競争していたんです。そして、電気自動車は負けた。当時も航続距離と充電が難だったので。
小沢:そりゃ今とまったく同じじゃないですか。つまり100年に一度の大変革っていうより、100年目のリベンジであると。
布垣:そうなんです。正しく歴史を踏まえると。
小沢:ちなみに一番古い蒸気車というと?
布垣:「キュニョーの砲車」と言われているクルマで18世紀です。
小沢:な〜んだ、世界初の自動車は、実はキュニョーでベンツよりはるかに早いんだ。
布垣:ほら、見方がいろいろ変わるでしょ。博物館は視線を変えるし、それによって未来も違って見えるんです。いろいろびっくりしていただいたところで(笑)、昨春オープンした「クルマ文化資料室」もぜひ、じっくり見ていってください。
館内には1900年代以前から現在までの各国の車両が年代ごとに展示されている。
博物館のロビーにて、シンボルカー「トヨダAA型乗用車(レプリカ)」がお出迎え。
トヨタスポーツ800
1965年発表、通称“ヨタハチ”。当時の価格は595,000円。「Fun to Drive」を初めて大衆に知らしめた画期的なスポーツカー。
トヨダAA型乗用車
1936年に誕生したトヨタ初の生産型乗用車。黒が主流の中、「灰桜」と呼ばれる遊び心ある色味も斬新。写真右が「デ・ソート・エアフロー」。
布垣館長の案内でクルマ館の2〜3階を巡る小沢氏。1947年に発表、“動く彫刻”と称されてMoMAにも永久展示されるイタリアの名車「チシタリア 202クーペ」の前でしばし話し込むふたり。
スタンレー スチーマー モデルE2(1909年・アメリカ)
1897年から蒸気自動車を発表していたスタンレー社の1909年モデル。静か・振動が少ない・速い(最速200km/h超)などの理由で支持され、1927年まで製造。
ベイカー エレクトリック(1902年・アメリカ)
静かで排出ガスがないなどの理由で女性の人気が高かった電気自動車。1馬力のモーターで時速40km/h、1回の充電での航続距離は約80km。
フォード モデルT(1909年・アメリカ)
低価格・運転の簡素化で爆発的にヒットし、クルマ社会の幕開けとなった画期的なモデル。同館では企画展「100年前のイノベーション〜T型フォードが変えたこと〜」を開催中(〜4/12)。