Harmony 2017年1/2月号
日本ドライブ紀行 神奈川県

文化人に愛された鎌倉へ

文・内田和浩 写真・竹沢うるま

川端康成や小津安二郎といった著名人が居を構えた鎌倉。彼らは鎌倉のどこに惹かれ集ったのか──。ゆかりの地を訪ねながらその理由を考察するドライブ旅へ。

文豪・川端康成が幾度も逍遥したであろう「報国寺」境内の竹庭。


渋滞が心配な方は、国道134号沿いに4カ所ある駐車場の駐車料金と江ノ電のフリー切符がセットになった「パーク&ライド」を活用しては。詳しくは鎌倉市または江ノ島電鉄のHPへ。


大正末期から昭和にかけ、川端康成をはじめとする文士や俳人のほか小津安二郎や原節子といった名だたる映画人たちも居を構えた地、鎌倉。彼の地の何に、文化人たちは惹かれ集ったのか──。ゆかりの地を訪ねながらその理由を考察するドライブ旅へ。

山ノ内 〜 長谷

  • 里見弴宅での新年会の様子(左から真船豊、大佛次郎、里見弴、久保田万太郎、川端康成、中山義秀)。文士達の交流の一端がうかがえる。

  • 「鎌倉文学館」の建物は、1936(昭和11)年、第16代当主・前田利為が和洋折衷様式に改築したもの(左)。展示資料より。詩集を寄贈された里見弴の高見順宛の礼状(右)。

  • 「鎌倉文学館」までは、緑に覆われたトンネル「招鶴洞」を通ってゆく。

  • 円覚寺の開基、北条時宗を祀る寺院「佛日庵」。境内には、川端の小説、『千羽鶴』の冒頭の舞台となった茶室「烟足軒(えんそくけん)」が佇む。

  • 佛日庵でいただけるお抹茶セット。鳩サブレーで有名な豊島屋の小鳩豆楽(落雁)付き。

鎌倉の地に集った文士たち

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源頼朝が武士の都として築いた鎌倉は、三方を山に囲まれ、南が海に向かって開いた町である。鎌倉幕府が滅びたのち、鎌倉は「忘れられた古都」となっていったが、明治期に大きな変貌を遂げる。海水浴場が開設され、保養地として注目されたこと、そして横須賀線が開通したことだ。鎌倉は、東京から日帰りできる魅力的な地方都市へと生まれ変わった。

保養目的に続々とやってきた富裕層とは別に、若き文学者たちも訪れる。島崎藤村や夏目漱石は北鎌倉の円覚寺に短期間滞在し、芥川龍之介は新婚生活を鎌倉で送った。その1年余の間に『地獄変』『蜘蛛の糸』などの名作を発表している。昭和初期になると鎌倉に定住する文学者が増え、野球や写真などの趣味を通して交友を深めていった。川端康成、大佛(おさらぎ)次郎、久米正雄、里見弴(とん)、小林秀雄といった錚々たるメンバーで、彼らはやがて「鎌倉文士」と呼ばれるようになる。

鎌倉ゆかりの文学者に関する展示と資料収集を行う「鎌倉文学館」の常設展示では、文士たちの活動を知ることができる。文士らは文芸グループ「鎌倉ペンクラブ」を結成したほか、地域に根ざしたユニークな活動を行った。その代表が、「鎌倉カーニバル」と「鎌倉文庫」だ。

第1回鎌倉カーニバルは1934(昭和9)年7月に開催された。市中を練り歩く仮装行列は鎌倉の夏を彩る行事となり、大戦前後の中断を挟んで62(昭和37)年まで続いた。

「鎌倉市民のためになることをやろう、という気持ちが文士たちにあったのだと思います」と、鎌倉文学館の小田島一弘さんは言う。

「鎌倉文庫」は戦時中に文士たちによって開かれた貸本店である。持ち寄った蔵書を有料で貸し出したもので、書物の入手難で読書に飢えていた市民に心の安らぎを与えるとともに、文士たちにとっても戦時下の収入減を補うものだった。川端も積極的に店番を引き受けたという。あのギョロッとした目で店の奥に座っていた姿を想像すると可笑しさを感じてしまう。川端は終戦後、「鎌倉文庫は悲惨な敗戦時に唯一つ開かれていた美しい心の窓であった」と書いている。文士と市民は、鎌倉カーニバルや鎌倉文庫などを通じ、温かな絆で結ばれていたのだ。

創造力を刺激する古都の風景

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北鎌倉駅を降りると目の前が臨済宗の古刹円覚寺である。夏目漱石が円覚寺の塔頭・帰源院の門を叩いたのは1894(明治27)年のこと。帝国大学(現・東京大学)英文科を優秀な成績で卒業したのち、教壇に立っていた漱石は精神衰弱に陥り、坐禅に救いの道を求めたのだ。

漱石は老師からの公案(禅を究めるための課題)にとりくみ、自分なりの見解を述べたところ、その程度のことは少し学問をした人間なら誰でも言えると叩き潰された。結果、16日で失意のうちに寺を去る。この参禅はその16年後に発表された小説『門』に主人公の体験として描かれる。坐禅によって心の門を押し開けることができなかった挫折感は強い印象として残り、作品を生み出す原動力になったとも言えるだろう。

鎌倉には、山と山に挟まれた行き止まりの狭い谷がいくつもある。この谷を谷戸(やと)とか谷(やつ)と呼ぶ。円覚寺の伽藍も谷戸に建ち並んでいて、境内を進むにつれ山が迫ってくる。塔頭の佛日庵は谷戸の奥にあり、円覚寺の開基・北条時宗を祀る。境内の少し高くなったところに茶室「烟足軒(えんそくけん)」がひっそりと佇んでいる。苔むした檜皮葺の屋根や土塀の下地窓など、山間の閑居の風情が漂う。川端の小説『千羽鶴』の冒頭で、主人公の青年とヒロインの令嬢が出会う茶会の席がこの茶室だ。

「若葉の影が令嬢のうしろの障子にうつって、花やかな振袖の肩や袂に、やわらかい反射があるように思える」

そう描写される障子はこの円窓のことだろうか、などと思いながら内部を眺めた後、境内の長椅子に座り抹茶をいただいた。周囲の木々の葉擦れの音がさざ波のように耳を撫でる。大学生だった30年ほど前にひとりで佛日庵を訪ね、同じ音を聴いて心安らいだことを思い出した。

鎌倉に住んだ文学者たちは、長谷、扇ガ谷、佐助などの谷戸に居を構えた人も多い。喧噪から離れた静寂の中で、遥か昔から谷戸に住まう神仏の声に耳を傾け、大地の気を感じながら創造する力を養ったのかもしれない。