Harmony 2018年9/10月号
日本ドライブ紀行 兵庫県

播州 名城見物行

文・内田和浩 写真・蛭子 真

かつて日本には2万を超える城が存在したという。その多くは姿を消したが、現在まで伝わる遺構や城跡もある。とりわけ兵庫県は、国指定史跡の城が日本最多を誇る“城の国”。世界文化遺産・姫路城を筆頭に、4つの個性的な城郭が残る播州エリアをめぐれば、美しさだけではない、城の楽しみが見えてきた。

姫路城

豊臣氏との決戦に備えた最強の構えと美意識

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世界遺産の優美な巨大要塞

JR姫路駅前から姫路城までは大手前通りが続く。「日本の道百選」のひとつで、幅50メートル、延長670メートルの大通りがまっすぐに城へと向かう風景は稀有なものだ。

姫路城は1600(慶長5)年に52万石で入封した池田輝政が姫山(標高約46メートル)に築いた城である。築城当時は大坂城に豊臣秀吉の子の秀頼がおり、天下の主導権を握った徳川家康との緊張状態が高まりつつあった。家康の娘婿である輝政は、大坂方に味方しかねない西国大名に備えて、巨大要塞である姫路城を築城したのだった。

姫路城の最大の魅力はなんといっても白亜の天守だ。天守は城主の権威の象徴であり、戦時の最後の砦となる。ただ、城主は平時に御殿で暮らしたので、天守は空き家も同然だった。姫路城大天守は五重(屋根の数が5つ)、地下1階、地上6階の構造で、築城当時は日本最大の天守だった。漆喰の白壁はカビや風雨で傷みやすく、維持費がかかる。それをあえて白壁で統一したのは輝政の強い美意識によるものだろう。

天守にたどりつくには、屈曲する道を進み、多くの城門を経なければならない。城内のいたるところで見られる、城壁に開かれた狭間(さま)は、◯△□などのデザインがユニークだ。が、それらから一斉に銃口を向けられることを想像すると、身が震える。

天守の内部にもさまざまな戦いの仕掛けを見ることができる。たとえば、窓の近くに設けられた隠し部屋は、落城したあとに敵の大将が天守に入ってきて、外を眺めようとした時に狙撃するためのものだろう。どこまでも戦う意志が漲っている、美しくも恐ろしい城だ。

池田氏のあと、姫路城には本多氏が入り、本多忠刻(城主・忠政の嫡子)に再嫁した千姫(家康の孫で前夫は豊臣秀頼)は西の丸で暮らした。西の丸の化粧櫓は千姫のために建てられたもので、落ち着いた佇まいの建物である。大坂城落城の悲劇を経験した彼女にとって、心休まる空間であったことだろう。

姫路城

住所:兵庫県姫路市本町68
電話:079-285-1146(姫路城管理事務所)
時間:9:00〜16:00(閉門17:00)、4/27〜8/31は〜17:00(閉門18:00)
定休日:12/29、30
姫路城散策をより楽しくするAR(拡張現実)アプリ

姫路城散策をより楽しくするAR(拡張現実)アプリ

事前に「姫路城大発見アプリ」をダウンロードし、城内にあるARマーカーサインにスマートフォンなどをかざすと、今はなき建物や城兵の様子を再現した動画が再生され、往時の様子を知ることができる。城内にあるポイントは全部で24カ所。ITによる“仕掛け”を駆使して、より充実した姫路城散策を楽しみたい。※混雑時は運用制限の場合も。対応端末など詳細は姫路城HPを参照。

明石城

豊臣氏滅亡後に急ぎ築いた姫路城に次ぐ防衛線

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質実剛健な西国監視の要

明石は東経135度日本標準時子午線が通る町。ぶらり子午線観光ガイド連絡会の観光ボランティアの佐藤さんに案内していただいた。明石城は、豊臣氏が滅んだ大坂夏の陣から3年後の1618(元和4)年、将軍徳川秀忠の命によって小笠原忠政(後の忠真)が築城を開始。「周辺の城の廃材などを用いて急ピッチで工事が行われました」という説明から、西国大名の監視をまだ緩めることができなかった当時の状況がわかる。

城の中心部は明石海峡を見おろす丘陵上に置かれた。かつて本丸の四隅には三重櫓が建てられ、本丸西側に天守台が築かれたが天守は建てられなかった。建設費用の問題もあったかもしれないが、天守をもつ格式の城であることを天守台によって示すことでよしとしたのかもしれない。明治になり廃城が決まるが、旧明石藩士らが県に嘆願して現在の櫓2基が残され、城跡は明石公園となった。

明石の町は築城とともに整備されたという。「町割り(設計)には宮本武蔵が関わったといわれています」と佐藤さん。明石城のあとは、「魚の棚(うおんたな)商店街」を散策し、名物の明石焼(玉子焼)を堪能した。

明石城

住所:兵庫県明石市明石公園1-27
電話:078-912-7600(兵庫県園芸・公園協会)
時間:公園内は24時間散策自由。巽櫓は4、10月、坤櫓は3、5、9、11月の土・日・祝日10:00〜16:00公開。雨天は公開中止。
料金:無料
魚の棚商店街

魚の棚商店街

約400年前の明石城築城と同時に、宮本武蔵の町割りで造られたと伝わる歴史ある商店街。日本有数の好漁場で獲れる「明石鯛」や「明石だこ」が有名だ。全国でも珍しい昼の競りで落とした、「昼網」と呼ばれる魚が軒先に並ぶのを眺めて歩くのも楽しい。散策の合間に、名物の明石焼(玉子焼)や練り物、海鮮丼などでお腹を満たしたい。

赤穂城

赤穂城軍学にもとづいて造られた「赤穂義士」ゆかりの城

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復元整備が進む "異端の城"

塩づくりの町として有名な赤穂は、市内を流れる千種(ちくさ)川の河口に開かれた城下町だ。赤穂城は1645(正保2)年に5万3500石で入封した浅野長直が築いた城で、1661(寛文元)年に完成させた。

現在は埋め立てのために海岸線までは1キロ以上離れているが、築城当時は海に面した「海城」だった。丘の上に築かれた姫路城や明石城を見たあとなので、「平たい城だなあ」という印象を受ける。

赤穂市教育委員会の荒木さんの案内で、まずは本丸の天守台に登る。天守台の眼下には本丸御殿の間取りが平面復元されており、御殿の前に庭園遺構が再現されている。

本丸の北側には二之丸庭園がある。庭園の池泉は全長190メートル、最大幅58メートルという大規模なもので、茄子のような形をしている。現在は特定の日に舟で遊覧できるそうだ。「発掘と整備を継続しているので、毎年、新たな庭園の姿を見ていただけると思います」。荒木さんをはじめとした地元の方々の熱意によって、大名庭園がその姿をよみがえらせる日も遠くないだろう。

赤穂城の特徴は、石垣の屈折が多いことだ。これは戦国時代の兵法を理想とする軍学者が設計したためであるという。近世城郭の石垣のラインは明石城のように長い直線を描くものが多いが、赤穂城はちょっと曲げすぎだろうと思うほど。泰平の時代に生まれた異端の城といえるかもしれない。

赤穂といえば、忘れてならないのが、いわゆる「赤穂事件」だ。大石内蔵助(くらのすけ)良雄ら浅野家旧臣が吉良上野介義央(こうずけのすけよしなか)を襲撃した事件は、後世に「忠臣蔵」として脚色され、芝居や映画などで数限りなく演じられてきた。赤穂城三之丸には四十七士らを祀る赤穂大石神社が鎮座している。

本殿を参拝したあと、境内に建つ大石良雄宅跡へ向かう。江戸時代に建てられた長屋門にやわらかな夕日が射し込んでいた。城内の黄昏は、どこか懐かしい暮らしの香りがする。

赤穂城

住所:兵庫県赤穂市上仮屋1
電話:0791-43-6839(赤穂市役所建設経済部産業観光課)
時間:本丸・二之丸庭園は9:00〜16:30(入園は〜16:00)
定休日:12/28〜1/4※本丸・二之丸庭園のみ
駐車場:240台