海とくらす京都の原風景へ(後編)京都の食を支えた丹後の海の恵みを満喫する

Travel

海と陸の境界線上で、豊かな木造建築群と海が一体となって紡いできた伊根の生活文化を紐解いた前編。後編では、丹後半島の海の歴史と文化へとさらに深く踏み込んでいきます。京都府北部を指す「海の京都」は、かつては大陸からの文化や技術が最初に行き着く最先端の地でした。土地の恵みを独自の哲学で昇華させる気鋭の料理人と、伝統を革新する女性杜氏らと出会いながら、豊かな知恵と情熱が織りなす「海の京都」の深層へ。

前編はこちらをご覧ください。

Text:Michi Sugawara
Photo:Masahiro Miki
Edit:Akio Takashiro(pad inc.)

京都の食と衣を支えた「丹後の海」

多くの人びとにとって「京都」という言葉は、碁盤の目の街並みにたたずむ壮麗な神社仏閣を想起させます。しかし、京都府における観光消費額の大半が京都市内に集中しているという実態の裏で、古代から大陸との交流の窓口として栄え、独自の歴史や文化を育んできたのが北部七市町からなる「海の京都」エリアです。2016年、京都府北部7市町の観光協会などが経営統合・参加して誕生した「海の京都DMO」を中心に、近年は福知山や舞鶴、京丹後に伊根といった地域が手を取り合い、広域連携によるプロモーションを展開しています。

そうした地域の歴史的・文化的価値について、伊根町観光協会の吉田晃彦さんは次のように語ります。

「地理的に大陸と面する京都の日本海側は、古代においてあらゆる最先端の文化や鉄などの技術が最初に伝わる場所でした。その証拠に、日本海側最大の前方後円墳をはじめとする『日本海三大古墳』は、すべてこの丹後地方に集中しています。文化のルーツが生まれてきた北部エリアは、平安時代の都の人びとにとっては強い憧れの地でもありました」(吉田さん)

こうした丹後の豊かな海の恵みや産業は、古くから交易を通じて京の都の生活や文化を深く支えてきました。江戸中期の文献『日本山海名産図絵』において丹後の名品として讃えられた伊根ブリは、宮津城下などを経て広く流通。伊根町は現在も日本三大ブリ漁場の一つとして名を轟かせています。

ブリだけでなく、伊根には出荷記録である「鯨永代帳」といったクジラ漁の記録が残るなど、海とともに生きてきた人びとの確かな生業の証明が今も遺されています。

「伊根湾は湾の地形から、風や波の影響を受けにくく非常に穏やかです。だからこそ、水際に舟屋が立ち並ぶ独特の風景が生まれ、イワシやブリなどの豊かな漁業が発展し、また湾内に迷い込んできたクジラを捕る漁も行われていました」と、京都府立丹後郷土資料館の学芸員である齋藤冬華さんは説明します。さらに齋藤さんによれば、享保年間に京都の西陣から技術を持ち帰り、この地で生産されるようになった「丹後ちりめん」も、江戸時代には大江山を越える陸路で都の問屋のもとへ運ばれ、日本の着物文化を支えていたといいます。丹後はまさに、都の『衣』と『食』の双方のインフラを支える、なくてはならない一大拠点だったのです。

近年では、こうした「海の京都」の魅力を精力的に発信。その結果、国内外から多くの人びとがこの地に惹かれ、伊根湾を訪れる観光客数は2025年に統計開始以来最多の53万人を記録しました。一方、オーバーツーリズムが広く問題視されていることを踏まえて、吉田さんはこの地での観光のあり方に目を向けます。

「伊根町は人口1,800人足らずの小さな町で、道路も駐車場も限られています。だからこそ、ただ人を集めるのではなく、いらした方たちに私たちの海沿いのくらしや食文化を正しく伝えていきたいのです。たとえば、もし観光収入が目的であれば、魚の供給が間に合わない時はよそから魚を仕入れてしまうことだってありえます。でも、私たちはこの地で獲れた地魚を実直に使いつづける必要があります。その地の生活の場を壊さずにより豊かにしていく、それこそが観光の本質だと信じています」(吉田さん)

伊根の日常を象徴するもんどり漁の籠。仕掛けた籠を引き上げれば新鮮な海の恵みが出迎えてくれる。
伊根浦散策の起点となる伊根町観光案内所。
伊根町観光協会の吉田晃彦さん。

魚菜料理 縄屋
薪火が呼び覚ます素材の生命力と茶懐石の精神

こうした伊根の海の恵みを堪能できる名店が、伊根町からクルマを西へ走らせた京丹後市弥栄町にあります。全国から美食家が訪れるのは、京都の名料亭「室町和久傳」などで研鑽を積んだ料理人・吉岡幸宣さんが営む「魚菜(さかな)料理 縄屋」です。

「縄屋」という店名は、かつて稲藁で大敷網を吊るための縄をつくり、伊根の漁師たちへ納めていた曽祖父の屋号に由来します。「人と人、海と山をつなぐ素晴らしい名前」と語る吉岡さんは、実家のスーパー跡地を改装し、カウンター9席のみの空間をしつらえました。

「魚菜料理 縄屋」ではわずか9席の特別な空間で、目の前で繰り広げられる薪火の営みと料理を楽しむ。
特注の薪オーブンを前に調理する吉岡幸宣さん。

縄屋の料理を特徴づけるのが、2020年の改装時に導入した薪火(まきび)による調理です。

コースの冒頭に供されるのは先付ではなく、炊きたての「一口のご飯」。わずかに芯を残した煮え端(にえばな)のご飯を一文字の形で口に含むと、米本来の甘みとうまみが静かに広がります。

「通常の和食店では最後にご飯を出しますが、私たちは最初に薪の火力を最大まで高めてご飯を炊き、その後に残る熾火(おきび)を次の料理へと活かしていきます。限られた燃料を無駄なく使い切ることも大切な考え方です」と吉岡さん。

この熱源を活かしきる発想は、限られた資源で客をもてなす茶懐石の精神にも通じています。

薪オーブンの熱は木に含まれる水分を蒸気として放ちながら食材を包み込み、地元で水揚げされたスズキやキジハタをしっとりと焼き上げます。さらに、きゅうりのソースや自家栽培のナスタチウム、魚のあらの出汁、トマトやアサツキの花などを組み合わせ、土地の食材に新たな表情を与えています。

また、地元の醤油組合の仲間と2年かけて仕込む自家製醤油や、無農薬米からつくられる飯尾醸造の富士酢など、丹後の風土に根差した調味料も料理を支えています。

「優れた食材を求めて地方の生産者を訪ねる都会の料理人も多いですが、ここにはすぐそこに最高の素材と大自然があります。お客さまにも、丹後に来る道中、森の中を走りながら緑や風といった空気感の違いを感じてもらい、その感覚のままお店の料理でも土地の魅力を五感で受け止めてほしいですね」(吉岡さん)

コースの最初に土鍋からよそわれる「一口のご飯」。美しい「一文字」の形で味わう。
キジハタの刺身には、すりおろしたきゅうりソースと自家栽培のワサビ風味のナスタチウムが重なる。
薪火で焼き上げたスズキに、あらの出汁とトマトのソースを合わせ、香ばしいヒゲ付きの揚げヤングコーンが彩りを添える。
コースの締めくくりを飾るおこげのあんかけ。最初に炊いたご飯の残りで作ったおこげに、地元の黒エビの出汁が効いた熱々の餡を注ぎ、五感で味わう至福の瞬間。
京丹後市弥栄町の静かな一角にたたずむ「魚菜料理 縄屋」の外観。

魚菜料理 縄屋

住所:京都府京丹後市弥栄町黒部2517
駐車場:あり
営業時間:昼 12時~/夜 18時30分~(完全予約制・一斉スタート)
定休日:月曜夜、火曜、水曜(臨時休業あり)
公式WEBサイト:https://www.nawaya-restaurant.com/

向井酒造
「伊根満開」がつなぐ人と世界

伊根の恵みは料理に限らず、この地に酒蔵も長く根付かせました。伊根湾唯一の酒蔵「向井酒造」の創業は1754年。今では「日本でもっとも海に近い酒蔵のひとつ」として、世界中から熱視線を集めています。水際に建てられた酒蔵は、文字どおり海のすぐ目の前に位置しています。

そんな向井酒造で酒造りに取り組むのは、長年「男社会」とされてきた酒造りの世界において、京都初の女性杜氏となった向井久仁子さん。「海がこれだけ近いと、機材が錆びやすいという苦労はありますが、それ以上に素晴らしい海の恵みがあります」と、向井さんは満面の笑顔で語ります。

「ここは海の風に乗って運ばれる豊かな潮のミネラルのおかげで、発酵力がものすごく強い蔵なんです。全国からここを訪れる杜氏さんたちが驚いていました。また、潮の細やかな殺菌効果のおかげで、雑菌の繁殖に悩まされたことも一度もありません。周りの山から湧き出る清らかな伏流水と、目の前の海のミネラルが、私たちの酒造りを支えてくれています」(向井さん)

向井酒造の名を世界的なものにしたのが、古代米(赤米)で仕込む日本酒「伊根満開」です。向井さんが、大学時代の恩師とともに研究を重ねて誕生させました。

「伊根満開」の特徴は、上質なロゼワインや果実酒を思わせる、鮮やかで美しいルビー色。古代米の皮に含まれる豊富なポリフェノールに由来するふくよかな果実味と、甘酸っぱく爽やかな飲み口は、日本酒に慣れていない人からも好評です。こうした一風変わったリキュール系日本酒は、一時ブームが起こったあとに人気も下火になりがちですが、「伊根満開」は誕生から30年近く経つ今もなお、右肩上がりにファンを増やしつづけています。

その人気は国内にとどまることを知りません。京都府在住のイスラエル人プロデューサーとの出会いをきっかけに海外輸出が始まると、その圧倒的な個性とクオリティーが認められ、デンマーク・コペンハーゲンにある世界1位になった実績を持つレストラン「noma」のメインリストに採用されるなど、世界各国のミシュランガイド星付きレストランのシェフやソムリエたちを驚かせました。さらに、向井さんが国際的なメディアから「日本の匠」として選出され、ドキュメンタリーが世界に配信されるなど、今や向井酒造の酒は世界へ伊根の魅力を伝える偉大なアンバサダーとなっています。

向井酒造の酒蔵から覗く、すぐ目の前に広がる伊根の海。
酒蔵の大きなタンクに、上からじっくりと櫂(かい)入れをする。
歴史の面影を今に伝える向井酒造の貯蔵庫。
向井酒造の代名詞である、古代米で仕込まれた日本酒「伊根満開」。
向井酒造の杜氏・向井久仁子さん。京都初の女性杜氏として伝統に革新を吹き込む。
「日本でもっとも海に近い酒蔵のひとつ」として親しまれる向井酒造の直販所の外観。

向井酒造

住所:京都府与謝郡伊根町字平田67
駐車場:なし(最寄りの伊根浦公園駐車場(有料)をご利用ください)
営業時間:9時〜12時、13時〜17時
定休日:木曜日・年末年始
公式WEBサイト:https://www.kuramoto-mukai.jp/

天橋立へ海岸線を走る

「海の京都」を巡る中で、この地の原風景である景観もまた見どころのひとつ。クルマを走らせ、ときに立ち寄りながらその絶景を目に焼き付けるのも旅の醍醐味です。

「海の京都」の美しい玄関口となるのが、日本三景のひとつとして数えられる名所「天橋立」。

その神秘的な砂州の成り立ちについて、「今から約2,000年前、世屋川や畑川から流出した砂礫が沿岸流で南に運ばれ、野田川の流入によって生じる阿蘇海の海流とぶつかり合うことで形成されました」と、前出の齋藤さんは地質学的な背景を説明します。

平安時代にはすでに美しい名所として多くの和歌に詠まれ、雪舟がその姿を国宝『天橋立図』に描くなど、古くから人びとの畏敬と憧れを集めてきた景勝地に。江戸時代に社寺参詣の旅が大衆化すると、智恩寺の門前町には数多くの茶屋が立ち並び、1924年の宮津線開通を機に、現代へと続く観光地としての礎が築かれました。

現在はこの絶景を海岸侵食から守るため、人工的に砂を循環させる「サンドバイパス工法」などの細やかな保護活動によって、その美しい景観が未来へと受け継がれています。

何千年もの歳月をかけて奇跡的に形成された日本三景のひとつ「天橋立」。
天橋立傘松公園内の展望レストラン「Ama Terrace」。

天橋立傘松公園

住所:京都府宮津市字大垣75
駐車場:なし(周辺の民間駐車場を利用)
営業時間:9時〜18時(季節により変動あり)

定休日:年中無休(天候や点検による運休あり)
料金:大人往復800円、子ども往復400円(ケーブルカー・リフト料金/税込み)

「天橋立ビューランド」から望む絶景。南側から見下ろす砂州は、まるで天へと舞い上がる龍の姿のような「飛龍観」と称される。

天橋立ビューランド

住所:京都府宮津市字文珠
駐車場:有(有料)
営業時間:9時〜18時(季節により変動あり)
定休日:年中無休(遊具の点検休業あり)
入園料:大人 1,000円、子ども500円(リフト・モノレール共通往復乗車料金含む/税込み)

今回の旅では、海と人が美しく溶け合う伊根の舟屋、そして丹後の豊かな歴史風土を五感で堪能しました。先人たちの知恵と現代の情熱が響き合う「海の京都」の原風景は、私たちの心身を本質的な豊かさで満たしてくれるはずです。

※掲載の内容は2026年8月現在のものです。 


読者プレゼントもご用意しています。

今回の旅で訪れた伊根の酒蔵「向井酒造」から、編集部が選んだ日本酒セットを抽選で1名さまにプレゼントします。海の京都の風土が息づく一杯を、ご自宅でゆっくりと味わってみてはいかがでしょうか。

編集部が選んだ日本酒セット。酒燗器 「かんまかせ」KOP-0401/K、「伊根満開 古代米酒」720mL、「京の春 生酛特別純米酒」720mL、ちりめんのトートバック(手前)。


Access to Harmony Digital アクセス方法

MYページから、デジタルブック全文や、
TS CUBIC CARDゴールド会員さま、有料購読者さま限定コンテンツをご覧いただけます。

TS CUBIC CARD TS CUBIC CARD ゴールド個人会員さまMY TS3 ログインはこちら

※本サービスのご利用は、個人ゴールド会員さまとなります。
※一部対象外のカードがございます。

TS CUBIC CARD ゴールド法人会員さま有料購読会員さまENEOSカードPゴールド会員さまの認証はこちら

MY TS CUBICにログイン後、トップページの「あなたへのおすすめ」エリアに掲載されている
「Harmony DIGITAL」バナーをクリックしてください。

※バナーイメージ